どれだけ多くの人が、この日の事を覚えているのだろう。
あれから14年の歳月が経った。
あの年に生まれた子供は、もう14歳になろうとしている。
戦争を経験した世代の人々は戦争の悲惨さを伝え、
そして今の平和な日本を築きあげた。
地震を経験した私が感じた、地震の悲惨さと欠陥住宅の悲惨さ、
これらの想いをどのように伝えていくべきか。
そう考えたとき、当時のエピソードを多くの人に伝えることが
私に出来ることだと考えている。
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1月17日、運命のその日を迎える直前
我々一家は家のリフォームを依頼した。
古くなって使用していなかった風呂周りの改修工事だった。
その工事にあたった業者にこう言われたそうだ。
「この家は酷い欠陥住宅ですね。」
その言葉に、祖父は酷く落ち込んだそうだ。
そして迎えたその日、1階で寝ていた祖父と祖母が
家の下敷きになった。救出された時、祖父は既に息をひきとっていた。
私をとても溺愛してくれた人だった。
私は、その時感じた。確かにあれだけ大きな地震だったから
欠陥住宅じゃなかったとしても、家は潰れていたかもしれない。
しかし、戦争を生き抜きやっとの想いで建てた家が「欠陥」と言われた
祖父の無念。そして、その家の下敷きになって亡くなった無念。
それから2ヶ月あまり、私は眠れない日々が続いた。
目をつむると、またあの揺れが来そうな気がして眠れなかった。
下敷きになって、とても苦しい想いをしているのに私たちの心配を
してくれていたという祖父の優しさ。
色々な感情が入り混じり、空虚感にも襲われた。
人はなぜ生きるのか?
人はどうしてこんな悲惨な事が起こるのに欠陥住宅を作ってしまうのか。
当時は、この震災は人災でもあったと言われていた。やはり耐震基準に満たない
建物が沢山あったのだ。
「誰にもこんな想いをして欲しくない・・・」
そう思い始めた私の想い。
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少しでも多くの人に、地震の怖さと欠陥住宅の悲惨さを伝えたい。
そして、今現在でも往々にしてある欠陥住宅。
欠陥住宅は今これを読んでいるあなたの家もそうかもしれないのです。
そして、そのままにしておく事はとても悲しい結果になるかもしれないのです。
心に留めておいて欲しいと思います。